今、ここ。…そんなことがよく精神世界では強調される。
「今」と「ここ」 これは、実は同じ事を意味している。「ここ」とは、宇宙の中心。
「今」とは、時の中心。
どちらも、存在の中心であり、同じこと。そこは現実が存在する唯一の場所でもある。
「今」「ここ」以外の時、場所は、全て観念的なものであり、イメージであり、記憶であり、予測であり、つまりは、現実存在ではない。
では、「今」「ここ」にとどまるということは、どういうことだろう?
それは、存在する、ということだ。現実に集中する、ということだ。「今」「ここ」に集中することで、結果的に、はるかに多くの情報にアクセスができ、はるかに大きなパワーを得ることも出来る。
それは、想像の世界に遊ぶことを否定するわけではない。記憶をたづることや、未来予測をすることを否定するのでもない。
記憶を探るのも、今、ここで。未来を予測するのも、今、ここで。1,000kmはなれた場所の出来事を想像するのも、今、ここで。
今、ここで、とは座標軸の中心。自分の心を座標軸の中心におく。
その方が、はるかに集中でき、効率も高いのだ。
もう少し、説明してみよう。
自分の姿を想像してみる。小さな自分が、山の上を飛んでいるとする。そんなイメージを持ってみる。
認識の中心としての自分がその小さな自分だと思うと、何も感じられない。自分というイメージには、五感はない。
五感があるのは、認識の主体者である、こっちの自分。今、ここというのは、だから、こっちの自分にとどまる、ということだ。
もし、山の上の景色を見たいなら、認識の主体者である自分を、飛ばす必要がある。そのとき、自分の位置は動かず(今、ここから動かない)、かわりに地面が動く。そして、山を眼下に持っていく。
あくまでも、自分はここにとどまり、世界が自分の周りを動くのだ。
時間も同じこと。自分は今にとどまり、周りの世界が、過去や未来へと変貌する。そして、その変貌した世界を観察する。
そうしなければ、何も見えない、聞こえない。
逆に、今、ここという存在の1点にとどまれば、過去の体験も、未来予測も含めて、自分の持っている全てを使える。
- 2009/12/12(土) 09:47:26|
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