炎の瞑想を炎になることに、集中。なかなか客観的に自分の瞑想を眺めるゆとりはない。
つまり、意識のレベルが低下していて、よく分からない。
足の裏に熱感あり。少しは深まっているのか?
次に木の葉の瞑想をハイアーセルフというか、導き手が、見せたいものを、今、見ていると信じる事。
ぞっとする感じ。恐怖感が木の葉の瞑想でも、つきまとってきたが、もう無意味に怖がるのは止めようという気になってきた。
恐怖を見つめ、逃げずに素直に、怖がってきたが、いくら怖がっても、何も生まれない。
恐怖の中心には、何も見るべきものがない。これじゃ、怖がるだけ時間の無駄というものだ。
- 1995/08/19(土) 10:56:51|
- 瞑想の記録|
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