色々と計画を立て、数字をあわせて。
人生は、そんなものの積み重ねでは、無い。瞑想もまた、ただの訓練ではない。
ある日、突然、夢を見る。瞑想の中で、何かがわきあがる。
・・・そして、アイデアなり、行動の指針なりを示される。あっという間に、脈絡もなく、正解が示される。
人生というのは、そういうもの。
この世は、むしろ夢芝居。現実は、向こうにある。それを知らずして、瞑想も何も無い。
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- 2010/02/22(月) 20:37:04|
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仏壇へ手を合わせる。
そのとき、何を思うだろう?
ちなみに僕は、ありがとう、と言っている。お導き、ご加護をありがとうございます、と。
以前は、ご加護をむしろ、お願いしていた。
しかしながら、それはちょっと違うと感じるようになった。
もう十分に導かれている。十分に守られている。
これ以上をお願いするのは、図々しいというか、分かっていないというか。
普段の生活の中で、これだけ守られていて、それを当たり前として受け止めて、…それはあまりに子供っぽい。そうではなく、朝の短い時間、仏壇に手を合わせて感謝するのは、受け止めている万分の1の感謝を返すことなのだ。
- 2010/02/22(月) 20:31:48|
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少しネガティブな瞑想について…
カルマの働きで、というか、思いがけぬ敵意を人から向けられた。実生活でのこと。
なぜこれほどの敵意を向けられるのか、全く分からなかった。
そこで瞑想。相手の敵意の底を探検した。・・・こちらとしては、そこに恐ろしいほどの嫌悪感を持ったのだけれど。
敵意からわが身を守る、それが僕の方の嫌悪感として、現れたわけだ。
そこで瞑想で、あえて嫌悪感のよろいを外し、敵意の中に身を置いて(もちろん、これはかなりの精神的苦痛を伴う)、相手の敵意の底を探り、味わってみた。
それでもちろん、色々と相手の心、敵意の源なり、今まで見えていないことが見えてきたのだが…
さて、瞑想が終わってからも、しばらく心の鎧を下げたままで、相手の敵意を味わっていた。色々と思いをめぐらしたり。
そしたら、その2-3時間後には風邪を引いていた。
風邪を引くなど、何年も無かったことなのだけれど。いやはや、あまりの相関関係の早さに、あきれてしまった。
ま、無防備で敵意を浴びたら、風邪ぐらい、引くよな。
もうちょっと、別のやり方があったかなあ?
- 2010/02/08(月) 00:32:21|
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