瞑想を教えてくれと言われて、困ることがある。
ありのまま、自分が思うそのままを教えると、かえって混乱させてしまうからだ。
瞑想を深めていく、というのはとても時間が掛かる作業。
そこには、世界観なり、何を信じるかといったことがらが密接に関わっていく。心というか精神というか、それを作り変えるというか。
たとえば、信じなければ見えないことがある。
しかしながら、信じない人間へ、信じろといっても無理。自分にだって出来ない。
信じない人間には、どうやっても見えない世界で、瞑想をしていても、それを説明しようがない。
説明しようとすると、混乱させるだけ。
あるいは、一歩間違えると、新興宗教のようになってしまう。
結局、自分の足で歩いていくしかない。自分が経験した中で、自分を成長させていくしかない。
教えられるのは、本当にごくわずか。テクニック的なことぐらいで。
そして、テクニック的なことというのは、決してそれほど重要ではないのだ!
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- 2008/09/29(月) 14:40:55|
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最近、夢や瞑想などを通して、いくつかメッセージを受け取っているので、書き留めておきたい。
@人はなんとたやすく、他者に権威を譲り渡し、そして、なんとたやすく、他者の権威を否定するのか。
@信じられなきゃ終わりだよ。
@まだ、可能性はある。希望を持て。
@お前は何年待ったんだ? 2年か? 3年か? 我々は60年以上待っている。
- 2008/09/25(木) 09:23:18|
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今日は、山登りに挑戦した。
片道3時間、往復で約6時間の登山だった。
結構、険しい道で途中、かなりくたびれたのだけれど、頂上は、見晴らしがよく、秋晴れで、素晴らしかった。霧というか、雲というか、ふわーっと下から吹き上げられてくる。
誰もいない山頂で、しばらく場所探し。岩だらけでゴツゴツだ。
座るために、具合のイイ岩を探す。
そして眺めが良いところ。気の、素敵なところ。
場所が決まった。目の前に、やや低い別の山が見えるところ。その山に正対する。
風が強く、冷たくて、ちょっと手間取る。
瞑想
山の気を全身に感じる。・・・というより、自分の場が、山全体に広がる。
山と融合・・・
なんとも甘美で、峻厳な、至福の時をすごした。
- 2008/09/24(水) 22:46:13|
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瞑想のやり方だけれど、1回50分の瞑想を一日1回することと、1回5分の瞑想を1日10回することと、どちらが効果的だと思われるだろうか?
恐らく瞑想の目的、又レベルで異なるだろう。
一回5分じゃ、そもそも瞑想まで行かない、というのが大体のところ。瞬間的に瞑想状態に入れなければ、5分では無理。何をやっているのか分からなくなる。
しかしながら、最近、自分としては、1回5分の瞑想を10回(これは例え)、という具合に、短い瞑想を、日常生活の折々に、というほうに、魅力を感じている。
それこそ、山なり道端の大きな木、魅力的な花なりを見つけたときに、10秒間でも。
生きることは祈りであり、瞑想。・・・距離があるものではない。
行住坐臥なんて言葉もあるね。(^^)
- 2008/09/23(火) 15:04:36|
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