昨日の瞑想。
メッセージは、「少なくとも俺は上に行く」
いろいろな妄想、錯覚など、不安とか、取り越し苦労とか。たくさんの事を捨てて、もう別のステージへ。
捕らわれることは、自由。でも、もう十分。そんな実感。
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- 2008/08/28(木) 21:01:19|
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自分の心を観察し続けると分かることだが、実に多くの妄想をもって、人間は生きているものだ。
妄想… これがどれほど人生に入りこんでいることか。
どれが現実で、どれが妄想か。
実際、その境目はあいまいで、境界線が引いてあるわけではない。
さらには、人間には分からないこと、見えないことが多く、今、想像したものが、妄想なのか、現実なのか、それは選択の世界になる。
何を現実だと信じるかという選択だ。
たとえば、オリンピックを目指して練習する選手。金メダルが取れるなら、競技を続けよう。もし、メダルが取れないなら、競技を止めようと思っていたとする。
さて、4年後に金メダルが取れるのか取れないのか。取れると信じて、練習を続けるのか。
その場合、取れないかもと想像することは、妄想となる。取れると信じることが現実となる。
そして4年後、金メダルが取れれば、それは現実を信じたこととなるだろう。一方で、メダルに届かなければ、4年間、金メダルが取れるという妄想を生きてきたこととなる。
現実と妄想・想像と、信じること。・・・面白いものだ。
- 2008/08/27(水) 09:45:45|
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雑感で恐縮だが・・・
今、オリンピックの時期。テレビを見ると、大騒ぎだ。
競技を終えた人達の表情を見ていると、銅メダルで、ブスっとしている人もいる。一方で、6位入賞で大喜びしている人も。
価値を与えるのは、まさにその人なのだ。
金メダルでも、無価値と思えば無価値になるし、参加できただけでも、大変な価値を見出すこともできる。
心というのは、面白い・・・
- 2008/08/18(月) 00:59:51|
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自然の木や、山を感じるという訓練をしていると、心の中の妄想と現実との区別がつくようになる。
たとえば人間関係。
山を感じようと訓練していると、人と会ったときも、相手の感情をダイレクトに感じるという習慣が出来るのだ。そうすると、相手に関して想像することと、本物の相手と、その違いが見えてくる。
これは、大変な可能性。
いずれ、詳しく述べることもあるだろう。
- 2008/08/08(金) 12:27:14|
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