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心の癒しと夢、瞑想、精神世界について、です

2008年06月:夢と癒しと瞑想ノート

TOPへ-夢と瞑想、気づきと癒し、精神世界の道程

瞑想に興味を持ってから20年超。 その羊腸の道の風景を、ところどころご紹介していきます。 道を求める人へ、何かの参考になれば幸いです。 書き込みの日付は、もともとの日記の日付です。

上高地と木の葉の瞑想

上高地に行った。
平日でも、大勢の人でワサワサとしていて、自然は素晴らしかったが、人の多さは興ざめだった。
それでも、タバコの吸殻一つ、チリひとつ落ちていない。
これは、さすがだなあと感心。

梓川は、素晴らしく綺麗で、まさに清流。穂高連峰に囲まれた絶景を眺めていて、ふと、木の葉の瞑想を連想した。

これは、木の葉の瞑想の世界にそっくりだし、この景色を見たということは、木の葉の瞑想の強化に役立つと。

大正池から河童橋まで歩き、河童橋の上で、ふと興が乗って、足元を流れる梓川と、木の葉の瞑想の世界で流れる川を近づけてみた。

時間にすれば、ほんの1~2分。まわりには、カメラを構える大勢の観光客。ワサワサしていたが、すうっと自分の世界に入れた。一瞬のトランス状態の中で、僕の心の中の、清流と、梓川が融合。
それは、素晴らしく豊かな体験だった。







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  1. 2008/06/16(月) 01:06:49|
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夢で鍛えられる

夢は、いろいろなことを教えてくれるが、数日前の夢では、「鍛えられた。」

それは、様々な危機的な状況が訪れる夢だった。

例えば、次のような状況。
自分は、ある組織の一員。その組織の一員として、殺人に加担するという立場におかれる。もし、逆らったなら、自分が殺される。
その危機的な状況で、殺人に協力するのか、それとも、死を覚悟して、それを拒否するのか、といった選択を迫られる。
その中で、僕は殺人を拒否しつつ、その組織の他の構成員を説得して、殺人をやめさせることへ、努力をする、という選択を夢の中でしている。もちろん、殺されることを覚悟の上で。

このような危機的な状況が次から次へと。
一つの状況を切り抜けるたびに、別の挑戦をさせられた。

眠っている間に鍛えてもらえる。・・・なんとも、ありがたいことだ。^^

  1. 2008/06/05(木) 09:57:20|
  2. 夢日記|
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日光・月光菩薩像

東京国立博物館の薬師寺展を見に行った。
入場制限をしていても、場内は、わさわさとかなりの人。日光・月光菩薩像の周りは、人だかりとなっていた。
いやはやと、ちょっとシニカルな気分で、何気なく見上げていたら、ふわあっと波動が伝わってきた。

1,300年間、祈りの対象となってきた菩薩像の波動は、なんとも澄んでいて、癒しと優しさ、そして深みがあって、さらに繊細、とても繊細なものだった。

山の神気も、また澄んでいて崇高なものだけれど、それとは全く違う、普段、なかなか味わえない波動だった。

出掛けた甲斐があった。
  1. 2008/06/04(水) 20:35:16|
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100年先の自分へ

心の中に、しっくりと来ない感覚があり、瞑想。
瞑想のテーマは、まさにその感覚を明らかにすること。

何を自分は忘れているのか?

しばらく座っていたところで、メッセージが来た。いつものように、一瞬のイメージとして来たのだけれど、言葉で書けば、次のような感じか。

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お前は、「自分」のことを考えるとき、せいぜいが5年後、10年後の自分を気にしている。そのころの生活がどうなのか、とか。あるいは、どんなに長くても、寿命の範囲だろう。

そうではなく、自分を意識するとき、100年後、数百年後の自分を思え。
魂の永続性を知りながら、今の人生の寿命の範囲で、そんな短い期間で自分を考えるなら、しっくりくるはずもない。

少なくとも、数百年後の自分を含めて、自分と思え。
  1. 2008/06/02(月) 00:37:38|
  2. 瞑想の記録|
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