上高地に行った。
平日でも、大勢の人でワサワサとしていて、自然は素晴らしかったが、人の多さは興ざめだった。
それでも、タバコの吸殻一つ、チリひとつ落ちていない。
これは、さすがだなあと感心。
梓川は、素晴らしく綺麗で、まさに清流。穂高連峰に囲まれた絶景を眺めていて、ふと、木の葉の瞑想を連想した。
これは、木の葉の瞑想の世界にそっくりだし、この景色を見たということは、木の葉の瞑想の強化に役立つと。
大正池から河童橋まで歩き、河童橋の上で、ふと興が乗って、足元を流れる梓川と、木の葉の瞑想の世界で流れる川を近づけてみた。
時間にすれば、ほんの1~2分。まわりには、カメラを構える大勢の観光客。ワサワサしていたが、すうっと自分の世界に入れた。一瞬のトランス状態の中で、僕の心の中の、清流と、梓川が融合。
それは、素晴らしく豊かな体験だった。
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- 2008/06/16(月) 01:06:49|
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夢は、いろいろなことを教えてくれるが、数日前の夢では、「鍛えられた。」
それは、様々な危機的な状況が訪れる夢だった。
例えば、次のような状況。
自分は、ある組織の一員。その組織の一員として、殺人に加担するという立場におかれる。もし、逆らったなら、自分が殺される。
その危機的な状況で、殺人に協力するのか、それとも、死を覚悟して、それを拒否するのか、といった選択を迫られる。
その中で、僕は殺人を拒否しつつ、その組織の他の構成員を説得して、殺人をやめさせることへ、努力をする、という選択を夢の中でしている。もちろん、殺されることを覚悟の上で。
このような危機的な状況が次から次へと。
一つの状況を切り抜けるたびに、別の挑戦をさせられた。
眠っている間に鍛えてもらえる。・・・なんとも、ありがたいことだ。^^
- 2008/06/05(木) 09:57:20|
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東京国立博物館の薬師寺展を見に行った。
入場制限をしていても、場内は、わさわさとかなりの人。日光・月光菩薩像の周りは、人だかりとなっていた。
いやはやと、ちょっとシニカルな気分で、何気なく見上げていたら、ふわあっと波動が伝わってきた。
1,300年間、祈りの対象となってきた菩薩像の波動は、なんとも澄んでいて、癒しと優しさ、そして深みがあって、さらに繊細、とても繊細なものだった。
山の神気も、また澄んでいて崇高なものだけれど、それとは全く違う、普段、なかなか味わえない波動だった。
出掛けた甲斐があった。
- 2008/06/04(水) 20:35:16|
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心の中に、しっくりと来ない感覚があり、瞑想。
瞑想のテーマは、まさにその感覚を明らかにすること。
何を自分は忘れているのか?
しばらく座っていたところで、メッセージが来た。いつものように、一瞬のイメージとして来たのだけれど、言葉で書けば、次のような感じか。
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お前は、「自分」のことを考えるとき、せいぜいが5年後、10年後の自分を気にしている。そのころの生活がどうなのか、とか。あるいは、どんなに長くても、寿命の範囲だろう。
そうではなく、自分を意識するとき、100年後、数百年後の自分を思え。
魂の永続性を知りながら、今の人生の寿命の範囲で、そんな短い期間で自分を考えるなら、しっくりくるはずもない。
少なくとも、数百年後の自分を含めて、自分と思え。
- 2008/06/02(月) 00:37:38|
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