神との合一。
よく、ものの本なり、覚者なりが、神との合一には、眉間に集中して、チャクラがなんだか、と瞑想のテクニックを解説している。
笑止千万。
内なる神を感じるのはテクニックではない。チャクラがどうだの、関係ない。第三の目など、全くの無関係。
生き方そのものが問題なのだ。誰に恥じることなく、信じる道を、堂々と歩む。王道を行く。
そのときこそ、人は神に通じる。
自分をごまかし、墓穴を掘り、錯覚、妄想の中でもがいている人間が、どんなテクニックを弄して、内なる神と合一するというのか。
胸をはり、腹を据え、堂々と王道を歩む。人を愛し、誰にも恥じない。 ・・・そんな人生をいきていれば、自然に神に通じる。宇宙に通じる。
・・・今日の瞑想は、こんなメッセージ・体感だった。
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- 2007/12/21(金) 23:57:17|
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今日の瞑想は、受けとるための瞑想。
自分の潜在意識と高次元の自我と、その境界線のような存在から。
いつのまにか、自分を責めているような、自分を追い詰めるような。そんな心の癖。
そうではなく、何を選ぶのか。・・・言葉にするとそんな感じ。
融合感、ゾクゾクとする一致感のメッセージ。これは一つの体感であり、経験なのだ。
同時に受け取ったメッセージとしては、目的は何か? 無条件の安寧か? それとも条件付の成功か?
物理次元の成功が、精神の安寧の条件にしたいのか、したくないのか。それは選択であること。
言葉にすると複合的なメッセージが一瞬の感情体験に凝縮される。・・・面白いものだ。
- 2007/12/16(日) 22:24:49|
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