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心の癒しと夢、瞑想、精神世界について、です

2007年05月:夢と癒しと瞑想ノート

TOPへ-夢と瞑想、気づきと癒し、精神世界の道程

瞑想に興味を持ってから20年超。 その羊腸の道の風景を、ところどころご紹介していきます。 道を求める人へ、何かの参考になれば幸いです。 書き込みの日付は、もともとの日記の日付です。

疑問点の解明

このところ、ひっかかっていた疑問。
法律の適用方法とかに関する、ちょっと哲学的なもの。
ひとつの条文だけを取り上げれば、現実から乖離する。
・・・そんな回答を夢の中でいただいた。
法律自体にも、もちろん矛盾はある。その矛盾は、人間の現状、矛盾だらけの現状を反映している。
そして、矛盾した一面だけで判断することで、人は苦しむこととなる。
それ以外にも、いろいろなヒントを貰った。
細切れの教えを行うことで、バランスを欠くこととか。歴史の意義を客観的に見るのは、我々の仕事であることとか。

多くの疑問に、夢が答えてくれる。なんとも有りがたいことだ。
  1. 2007/05/28(月) 23:05:34|
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山歩きと瞑想

今日は、4時間ほど山歩きをした。
その中で、森の瞑想を。

大自然の冷たさ、すがすがしさ、存在感、気。
そんなものをいっぱいに感じて、体の中が緑になるようだった。^^

大自然との一体化というのは、ひとつのテーマ。
何かが変わりそうだなあ。。。
  1. 2007/05/28(月) 22:58:06|
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癒しの瞑想を

今日は、癒しの瞑想を。
体の中を見て(感じて)、そこへ暖かい光を満たしていく。癒しのエネルギーを注ぎ込む。

体のあちこちを。肩こりとか、肝臓とか。
この瞑想は、結構、気持ちがいい。^^
  1. 2007/05/27(日) 22:08:08|
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風車の瞑想

久しぶりに風車の瞑想を行った。
現実打破が動機だ。この現実を変えたい。

まずは花の瞑想を。
はじめから気合が入る。・・・そのときに合った瞑想、必要な瞑想をすると、集中の努力は不要なのだ。

世界一、大きな美しい花を開き、その中のおしべかめしべを飛ばす。空高く、勢い良く。
ドドーンと飛び出して、日本へ着地。心ある人のところへ。

そこで風車(かざぐるま)に成長。風車といっても、大きなものだ。風車(ふうしゃ)と言った方が、適切かな。

びゅんびゅんと周り、羽がひとつ飛び、また別の風車へ。
次々と風車が生まれ、いつしか世界中へ。

いやあ、気合が入ったなあ!^^




  1. 2007/05/22(火) 00:00:29|
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富士山

今日、中央高速をドライブしていて、山梨のあたりで、富士山を見た。
あまりの気高さ、気品にびっくりしてしまった。
周囲の山々とはまるで違う。
まさに霊峰富士。
いや、すごいなあ。

もちろん、昔から富士山を見慣れてはいるけれど(日本人だから)、久しぶりに見たら、圧倒されてしまった。

・・・そんなことで、今日の瞑想は、富士を感じること。
心の中にある富士のイメージを頼りに、「富士山を感じる」瞑想をしてみた。

涙があふれてくる。
富士の存在感。圧倒的な質量。そして何よりもあの気品。

富士の気高さは、むしろ遠くからの方が分かりやすい。
それにしても、富士山の気品には、なかなかに同調できない。感じ取るのにも、強い気力が必要。

気力を集中しながら、気合の中で、気高さを感じて行く。

・・・その過程で、自分の中の何かが浄化され、高められる。

ありがとう。


  1. 2007/05/20(日) 00:33:47|
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今日のメッセージ

今晩の瞑想は、受け取ることを主眼としてみた。
能動的な自分を小さな点として、他の全て、心や肉体をアンテナとでもいうのか、基本的に空っぽにして、受動的にして、感受性を高めて。
周りの空間を、固定的なものではなく、柔軟なもの、-移動するものとして。

そして、メッセージを待つ。
特にテーマは決めていない。あなた任せだ。

すると、自分は大きなものの一部だ、というメッセージが来た。
言葉のメッセージだけではなく、大きなものの存在と、その一部である実感と。

いつも思うのだけれど、瞑想のメッセージは、「言葉」だけではなく、実感・体験を伴う。薄っぺらい言葉だけ聞こえる、というようなものではないのだ。

これはすごいと思う。


話は違うけれど、瞑想は、「保証」「検証」「証明」「保険」を求めて行うものではない。
安心を求めて、瞑想をする。・・・まあ、癒しの瞑想という意味では、それも有り、かもだけれど、安心もまた、自身の選択。

そんなことが分かっている段階で、安心というか、保証を求めて瞑想をしても、何も得られない。
そんなとき、保証を求めて、どれほど長時間を瞑想に掛けても、何も得られないもの。
不安に駆られて、慰めてもらおうと思っても、馬鹿にされるだけ。ということか。

だから、瞑想は時間の長さでもないのだ。

長く座ることが疑いからなら、長く座ることに意味は無い。
長く座ることが、絶対的な安心を求めてなら、長く座ることに意味は無い。

疑いを払拭してもらおうと思っても、誰も助けてはくれないもの。
それは自分の選択なのだ。

誰かに安心させてもらおうと思っても、誰かは笑ってみているだけ。

「だいじょうぶよ」・・・その言葉を信じるかどうかは、結局は自分の選択なのだ。
何十年、座り続けようと、その真理は変わらない。

そして、疑わないとき。安心しているとき。・・・瞑想はよりダイナミックとなり、楽しい経験となる。^^

  1. 2007/05/16(水) 00:28:13|
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一瞬の光の瞑想

瞬間に光を飛ばす、光の瞑想をやってみた。

時間を掛けて気持ちを集中していって、そろそろかな、と思った一瞬に、光を自分に向けて集中して、次の瞬間、それを全方向へ爆発させる。
一瞬の瞑想だ。

強い情動反応があった。光のボリュームは、まあまあかな。
今の自分には、こんなものだろう。

爆発とは一瞬。一瞬の真実がある。
瞑想って、長々とやるようなイメージがあるけれど、一瞬に集中し、爆発させることで、はじめて真実になる瞑想もある。
  1. 2007/05/13(日) 23:35:49|
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メッセージ

今朝方の夢。
というか、半覚醒状態で受け取ったメッセージ。
今のプロジェクトに関して、マスメディアを訪問しろ、とのこと。
なるほど。
それは思いつかなかった。

メッセージは、求めれば、受け取れる。
まじめに問いかければ、答えが返る。求めなければ、シーンんとしている。

まあ、当たり前のことだけれど、オモロイなあ。(^^)
  1. 2007/05/12(土) 00:23:34|
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動くものを止めてはいけない

川は流れてこそ川。
流れを止めれば、それはただの水たまり。

本来、動いているものがある。
瞑想の中で動いているものを、無理に止めようとすると嘘になる。

実際、え?と思って、止めてみたくなることがあるのだ。
一瞬、視界を横切るものとか。

その瞬間を見て、判断する。・・・そこで止める。
もう一度、それを無理に見ようとして、さらにはストップモーションで見ようとすれば、・・・それはむろん、嘘になる。

一瞬、輝くものは、その一瞬を。

メッセージが来るときも、それは一瞬。
それは、現実生活でも同じこと。話される言葉が存在するのは、一瞬。
繰り返すのは、テープレコーダー。

本物の言葉は一度だけ。それを聞く。感じる。
そして、一度だけであることを受け入れる。

  1. 2007/05/12(土) 00:20:07|
  2. 瞑想の方法といったこと・雑感|
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花の瞑想を

今日は、花の瞑想を。

自分の中の羞恥心に的を絞って。
羞恥心のよろいをはがす、といった瞑想。つまり、花弁が羞恥心のよろいであり、それを開く。
そして、つぼみの中の自分と出会う。

ある意味、とても地道な瞑想だけれど、こういう次元の瞑想も、実は深い意味を持っている。

強い情動反応があった。
  1. 2007/05/10(木) 00:29:17|
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ろうそくの役割

今日は、人生の流れ、今の位置づけ、認識しておくこと、といった瞑想を行った。
軽い軌道修正、微調整といった目的だ。
人生の流れの中での自分が見え、意識が見える。まあ、こんなものだろう。

変えたい自分もいる。少しずつだ。一度には無理。

ところで、ろうそくの炎で瞑想をするのが、僕は好みなのだが、蝋燭の炎を正面に置くことで、意識のブレを防止しやすいのだ。

瞑想時には、意識の中心軸はぶらさずに(今、ここに保つ)、外界(これは体の中までも含めて。自分とは点に過ぎない)を変換・流すのだけれど、その中心軸の自分を、蝋燭の炎が碇のように、とどめてくれる感覚があるのだ。

自分がぶれてしまうと、瞑想にならない。ボヤケてしまって。
つまり認識する目は、ぶれてはいけない。

この感覚は、カメラのシャッターにも似ているかも?

手振れをしては、綺麗な写真は取れない。写真機は動かず、けれど、被写体、景色は、写真機の前を無限に変化し動いていく。

  1. 2007/05/09(水) 01:01:16|
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軽い瞑想を

今日は、ごく軽い瞑想を。
このところバタバタしていて、なかなか瞑想の時間が取れなかったので。

いろいろと大きなテーマも見えてきている。里の行から山の行へ。
どこかギアチェンジをすることとなるんだろう。
少しずつ、緊張というか、方向性、ベクトルを高めて。

日常生活の中の呼吸から、変えていくのかなあ?
導きをお願いして。
  1. 2007/05/06(日) 23:24:35|
  2. 瞑想の記録|
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