昨晩、B氏の人となりを瞑想したところ、B氏の夢を見た。
夢の中で瞑想の続きだ。
―こういうことは、しょっちゅうある。夢と瞑想は、よく連動する。(さらにいえば、現実も)
瞑想で得た情報よりも、さらに詳しく、B氏のカルマ、置かれている状況、家族関係、生い立ちといった情報が、言葉ではなくイメージで流れてきた。
・・・なるほど。
少しB氏と話すことにしよう。
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- 2007/02/26(月) 07:43:39|
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仕事でかかわりがある、友人のB氏との関係が、将来どうなるのか、瞑想をしてみた。
呼吸を細く長く。
その中で、お腹の辺りに、テーマを置く。
トランス状態に入る。
知りたかったのは、未来だったのだが、現在のB氏の姿が浮かぶ。心の中の葛藤、恐れ。今まで見えなかった、様々な情報が伝わってきた。
苦労しているんだナ。
結局、未来の情報は流れてはこなかった。現在に集中しろ、というメッセージかな。(^^)
- 2007/02/25(日) 23:36:48|
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おじ様と亡くなった父の夢を見た。
おじ様は、もうだいぶ、お歳なのだが、夢の中では、若々しく、しっかりとしていらっしゃった。
父が亡くなったのは、もうしばらく前だが、夢の中では、先月(それが9月)ということになっている。
おじ様と会った話なり、父が亡くなったことなどを、親戚に伝えようとするのだが、それを父が見ている。
父に死んだと伝えると、父が気を悪くするかな、などと僕は考えている。
・・・といった状況描写は、実はどうでもいい。
問題は、気。感情の流れ。
暖かい、サポートする気持ちが、おじ様からも、父からも伝わってきた。
助けられている。
- 2007/02/24(土) 07:34:52|
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人間関係とカルマについて、瞑想。
自分を取り巻く人々との、過去生と来生を含めた、大きなカルマの流れとその意味を知りたくて。
けれど、大きいなあ。
なかなか日々の生活で、ああでもない・こうでもないという状況では、木だけしか見えない。
森まで見るためには、一日の瞑想だけでは無理。
知りたいという願いを投網にして、こうして、ばっと投げて。じっくりと魚が掛かるのを待つ。
大きなカルマの流れといったテーマとは、ゆっくりゆっくり気長に付き合わないと。。。
- 2007/02/13(火) 22:40:28|
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炎の瞑想をしようと思ったけれど、入れなかった。
心を静めただけで終わった。
最近行っている、炎の瞑想の応用編。
さまざまな感情、それも他者の感情まで含めて、炎で転換する、といった瞑想は、こちらの精神も、それなりの準備が出来ていないと、そもそも瞑想に入れない。
今日はやっていて、自分に資格がないというか、ずうずうしいというか、そんな気持ちでブロックされてしまった。
その時々で、出来る瞑想、出来ない瞑想がある。
ま、当たり前のことだけれど…
- 2007/02/10(土) 23:19:43|
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今日も炎の瞑想を。
自分ひとりの力では無理。これが前回の実感。
自分ひとりの力では無理なので、すでにある自分を包む巨大な炎に集中。
その炎に自分を同化させていく。
すさまじい精神力が必要だ。全身全霊を込める。完全に出来たとは言いがたい。
注;「すでに有る」とは?
すでに存在する。…ここはポイントなのだけれど、説明するのは難しい。自分でイメージを作るのではなく、すでに存在している炎。
じゃ、どこにそんなものがあるのか?と聞かれても答えられない。有るものは有るとしか。
この巨大な炎は僕の周りで、燃え上がっているもの。僕はその実在を感じ、素直に受け入れることが出来るが、人によっては(瞑想初心者など)、おそらく難しいだろう?
- 2007/02/06(火) 23:14:02|
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炎の瞑想を。
炎で転換するもの。様々な怒り・恨み・悲しみ、もろもろの情動、怨念。
これらは、僕一人のものではなく。
人類のトラウマとでもいうか。人々の、あらゆる情動エネルギーを、今ここに集め、自分という点で炎として、光エネルギーに転換し、地球を照らし出す。人々の心の闇を照らし出す。
いうまでもなく、この瞑想は難しい。自分ひとりの力では無理だな。
⇒炎の瞑想
- 2007/02/04(日) 22:10:14|
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