先のことを思い悩む自分とか。
ある立場にいる自分を想像し、そこで、うまくやれるかどうか、とか。成功するだろうか、とか。
こうした自分は、想像の世界に生きる。想像の世界。妄想の世界。
これは、現実の世界ではない。
妄想の世界なり、妄想の世界の自分なりへ、どれほど集中しても、そこからは、どこにも、「つながらない」。
そもそも妄想の世界なのだから、当然。
今にとどまる。今、ここで感じている自分は、妄想ではなく、現実の自分。
現実の自分は、全てにつながる。
大宇宙にも、未来の自分にも、スピリチュアルな世界へも。圧倒的な幸福にも。
感覚を研ぎ澄ませば、そこは情報の宝庫。あらゆる情報がとびかっている。
次から次へと質問をし、そして答えを一瞬にして得る。
妄想の世界の自分も、今の自分も、一見、自分に見える。
だけど、その本質は、まるで違う。
本物のトラと、張りぼてのトラのように。一見、同じ。罠に落ちないようにしないと。(^^)
そして、幸福に耐える覚悟を身に付けないと。。。。
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- 2006/09/30(土) 00:06:41|
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呼吸に集中して、雑念を手放し、
瞑想をしていた。
先のことが心をよぎる。
仕事の事、未来のこと。うまく行くのかなあ、とか。
そんな先の不安、未来を思うとき、心は未来のイメージにある。つまりは、イメージへの集中だ。
イメージはイメージでしかない。そこに実際の未来はない。
だから、今に集中してみる。
今の僕の責任は、未来にはなく、(それは未来の自分に任せる事)、今にある。それも100%、今にある。未来への責任は0であり、今への責任は100%だ。
今にとどまっていない心は、イメージの上を揺らぐだけ。しかもそれは、無責任だということ。
そして、(本当の)未来も過去も、何もかも、全ては今にある。
心を今に集中すると、「今」へ、「僕の心」が、釘打つというか、リベットで今を止めるような感覚が突然に。これは初体験だった。
今に強烈にとどまる。リベットで「今」を止めてしまう。
―
瞑想は、ここまでにした。
無理に解釈することはしない。急いで理解しようとすれば、それは皮相的なものとなるから。
後は、夢に任せたい。睡眠中のテーマにしよう。(^^)
- 2006/09/28(木) 00:07:10|
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今日も、心をからっぽに、受信体制の瞑想を。守護霊様からのメッセージを受け取る心積もりで。
今日のメッセージは、山。木や花。自然の中でいきること。森の瞑想。
・・・その中の心の交流。祝福。幸福。恵みを正面から受け止める事。
むろん、言葉でメッセージが来るわけではないので、一瞬のイメージであり流れとしてくるので、言葉に書くと薄っぺらいのだけれど。
感情体験としては濃密なのだ。
・・・それにしても、心というのは、つながっているものなんだよなあ。
- 2006/09/08(金) 23:23:57|
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ま、あることがあって、「な~んで、こんな要らん苦労をするんだ」と納得できず、瞑想。
メッセージを求めてみた。
答えは、「あんまり簡単じゃ、面白くないだろ。この方が、成功したとき、ありがたみがあって、面白いだろ」とのこと。
ブス。(>_<)
- 2006/09/04(月) 00:26:54|
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