今、行っている仕事・プロジェクト、その人間関係を中心に瞑想。
心の手探りで、感じ、触れてみる。
そんなことをしていたら、無限の広がりに吸い込まれそうになった。
・・・すっごい広がりがあるんだ。
一つ一つ、追いかけていくことなど、とても出来ない。また、その必要もない。僕をはるかに超えて、進んでいく・・・
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- 2006/03/31(金) 22:55:41|
- 瞑想の記録|
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今朝の夢。
僕はどこかの会社のコンサルタントをしている。社長に信任され、既存の製品の見直しなどを行なっている。
そして、社員を集めて、「物の考え方」といったことを講義している。
僕は自信に満ち、不安のかけらもない。
・・・目が覚めて思ったのだけど、「抜けた」気がする。このところ、実生活では、小さなトラブル続きだったのだ。
運気が好転するかも。(^^)
これもまた、夢のお告げだナ。
- 2006/03/28(火) 06:52:50|
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今日、行なった瞑想は、プレッシャーを感じるというもの。
ちなみに、プレッシャーは、ちょうど今、取り掛かっている仕事に関するもの。
客観的に言えば、大変リスクの高い仕事で、成功の確率は低く、「現実」だけを信じる人なら、決して手を染めないようなもの。(^^;)
僕の場合は、導きを信じて、始めているけど。
まあ、それはそれとして、現実問題^^、リスクは高く、僕は、大きなプレッシャーを感じてもいるのだ。
瞑想は、その仕事のプレッシャーを感じるというもの。
一見、逆ではないか、と思われるかもしれない。瞑想はむしろプレッシャーを感じないためのものでは?と。
人の心というのは、面白いもので、プレッシャーといった不快なものを感じたがらないもの。放っておくと、結構、それを誤魔化したりするのだ。
あるいは、妙に抑圧したり。
今日の瞑想は、その誤魔化しを取り払うように、行なったのだ。
ただ素直に、操作を加えずに、プレッシャーを正面から見据え、感じる。
それは、もちろん苦しい。当たり前だ。
その苦痛の中で、エネルギーが自分の心を押し広げて、心のひだを練っていく。
つまりは、プレッシャーのエネルギーを利用して、そのまま心を広げるのだ。
ただ単に、大きな物―宇宙なり―を想像するというのではなく、実際に苦痛のエネルギーを心のひだに染み込ませ、いわば心を鍛えるのだ。
誤魔化すのではなく、抑圧するのでもなく。
十分にプレッシャーを感じると、そのプレッシャーは、役目を終えて、去っていく。
・・・面白いものだ。
結果的に、プレッシャーは消え、心はエネルギーで満ちているのだから。
- 2006/03/22(水) 21:03:59|
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このごろ、思うのだけど、苦しいときは、苦しむ。
辛いときは、辛がる。
―それが一番、自然なのでは、と。
自己催眠のテクニックなどで、苦しさを感じない、とか、気持ちを切り替えて、辛がらない、とか。
むろん、そんなテクニックがないわけではない。
しかし、何か違うように思うのだ。
むろん、それが良い、悪いというのではなく。
例えば、誰かに世話になった。恩返しをしたい。でも、その機会がない。あるいは、力が無い。世話になりっぱなしで、心苦しい。
そんなときは、心苦しさを、そのまま素直に感じる。
心苦しさを、何らかの心理テクニックで誤魔化すって、嘘のように思うのだ。
あるいは、仕事を失敗した。どうしても、思い通り行かない。辛い。辛くてたまらん。
そんなときも、辛さをそのまま素直に感じる。
仕事を失敗したら、辛いのが当たり前。だから、辛がる。
その当たり前の辛さから、逃げない。誤魔化さない。
むろん、逃げることも誤魔化すことも出来る。
でも。。。それは違う気がする。
誤魔化すと、かえって、後が大変になる。自分の心が複雑になる。
そうじゃない。
辛さをむしろ、覚悟すること。辛さをむしろ、受け取る事。辛いのは、当たり前だと認めること。
そこから、始まるような気がしている。
瞑想は、辛さを誤魔化すことでなく、辛さを感じないで済ませることでもなく、素直に辛いと感じることの中にある。
そんな気がするのだ。
- 2006/03/18(土) 15:57:24|
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連絡が取れなくなったある男性へ、夢の中で、魂?レベルでコンタクトしようと決めて、眠ってみた。
きっちりと決めて、その意志を保って眠ると、夢の中で誰かとコンタクトするのは、それほど難しいことでもない。
ところが、彼の知り合いが、彼のことを心配しているという、しょうもない夢を見ただけで終わってしまった。
ああ、彼は、心を閉ざしているんだな。
そんな実感が残った。
面白いな、と思うのだけど、心を閉ざしている人にコンタクトする術は無い。
心を開く、閉じるというのは、最低限の人間の証、自由意志のように思う。
- 2006/03/11(土) 21:13:11|
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夢は、いろいろなことを教えてくれる。
悪夢となれば、なおさら。
瞑想の習慣を持っていると、夢の中で意識を保つことが容易になってくる。
悪夢を見ているときも、意識を保っていられたなら、これは実に楽しい。
悪夢にただ飲み込まれ、パニックになってしまっていれば、そんなゆとりも無いだろうが、氷の意識を保てれば、悪夢は宝の山となる。
自分は、どんなトラウマを持っているのか。何を恐怖しているのか。
コツは、逃げるのではなく、向かっていく事。
もし、何かに追いかけられて、逃げているなら、バッと振り向き、目を見開いて、飛び込むこと。
もし金縛りになれば、これもまた面白い。パニックになって無理に動こうとするのは、愚の骨頂だ。
動こうとしなければ、金縛りも何も無い。―ちょっと意識をずらしてみる。
自分を動かすのではなく、周りの世界を動かしてみる。
驚くほど簡単に動けるだろう。自分が動くのではなく、周りが動く。
自分はどんなときでも、宇宙の中心。不動の一点なのだ。
こんな意識で夢を見ていると、それはただ、瞑想の延長となる。
- 2006/03/10(金) 22:25:24|
- 瞑想の方法といったこと・雑感|
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夢の中で意識が残っている。
その意識が、心のうちの、まだ癒されぬ自分のカケラを感知。
ああ、悪夢の瞑想のとき。
傷ついた自分へ意識を向ける。その傷ついた自分に意識を重ねていく。
彼の言い分、彼の衝動へ敢えて身を任せる。
周りの情景(夢の中の)が、みるみるうちに悪夢へと変貌を遂げる。
僕は、毛むくじゃらの化け物となって、周りの化け物と踊っている。
まだ、…駄目だ。
もっと自分の中の憎しみを引き出す。
化け物たちが、凶暴化する。そして、互いを傷つけあう。純粋な痛み。
痛みを与え、痛みを受ける。
激しい痛みに身悶える。
まだ、足りない! 僕は自分を身動きできない状態に追い込み、ただ痛みを引き受ける。永劫の痛み。
さらには、親怪獣が出て来て、永遠の責め苦。痛み。地獄図絵となる。
まだ、足りない!
今度は痛みを与える側となる。全ての登場する怪物どもが痛みを与え、痛みを受け、ひたすらに憎み、憎まれ。そこには、異様な緊張。
シャープな、憎しみと痛みの、どこか機械的な情景。
憎しみ合っているだけの、純粋な憎しみと痛みだけの関係。そこに何かしら、共感。憎しみできずかれた、ある種の強固な人間?関係。
まさに、ひどい悪夢だ。
僕は、この悪夢を、ただひたすらに見る。
ただ真っ直ぐに、悪夢を経験する。
嵐と湖:心の悩みへ癒しの絵本-絶望し苦悩する方へ
- 2006/03/08(水) 23:35:21|
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