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心の癒しと夢、瞑想、精神世界について、です

2006年01月:夢と癒しと瞑想ノート

TOPへ-夢と瞑想、気づきと癒し、精神世界の道程

瞑想に興味を持ってから20年超。 その羊腸の道の風景を、ところどころご紹介していきます。 道を求める人へ、何かの参考になれば幸いです。 書き込みの日付は、もともとの日記の日付です。

神社と苛立ち

昨日、待ち合わせまで時間があったので、たまたま近くにあった、とある神社へお参りした。

そこは、日本を代表する有名な神社だ。もう、初詣の喧騒も消え、とても荘厳な気が満ちていた。
―自然に居住まいを正される。理屈抜きに。

手を洗って口を漱ぎ。
二拝二拍手。
手を合わせて目をつぶり、自然に瞬間的な瞑想状態へ。
その神聖な場の光を受け取ろうと。。。

お参りを終えて、さっぱりとした気持ち。

ところが、夕刻ごろから、どうもイライラする。気持ちが苛立つのだ。
もう少しで家人に当たりそうになる。

夜の瞑想は、したがって、この苛立ちをテーマとした。
何が原因で、僕はイライラしているのか?

瞑想をしていると昼間の神社が出てきた。
神聖な場。光。・・・なのに、苛立ちを強く感じる。
神社と苛立ち。いったい、何の関係があるのか???

あ、・・・そうか!

次の瞬間に理解した。
僕は、この光を一生懸命避けていたのだ。
神社の光が、あまりに、まぶしくて、イライラしていたのだ。
昼寝の最中に太陽の直射日光を目に感じて、眠りを妨げられイライラする時のように。

う~~~ん。昼間、僕はただ気楽にこの神社の光を受け止めようとしていただけだったのだが・・・
なんとも、僕は甘ちゃんだった。この光を受け止めようだなんて。

改めて、自分に聞いてみた。お前は、本当にこの光―色とりどりのこの光―に直面したいのか?
答えは、No。
少なくとも、今晩は無理。

むろん、光に直面することが出来ないとは思わない。この光は決して攻撃的なものではないからだ。
・・・でも、今、瞑想の中でこの光に直面したら、今晩、僕は眠れなくなる。

時間をかけて、ゆっくりで十分。焦ることなどないのだ。

・・・それにしても、この神社のパワーはものすごい。
まさに、都内の、日本のスピリチュアルスポットだ。

ま、考えてみれば当然だ。
まったくもって当然のことなのだ。
文字通り、何百万という人々が、「この地で会おう」と約束して散っていったのだから。


・・・この記事を書いている今は、お参りをした翌日。
ここまで書いたら、涙がどっとあふれてきた。


☆この記事は、あくまでも瞑想修行、僕のスピリチュアルな体験に関するものです。一切、政治的な意図はありません。政治的なコメント、トラックバックはお断りします。



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  1. 2006/01/28(土) 10:45:05|
  2. 瞑想の記録|
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木の葉の瞑想雑感

木の葉の瞑想。
これはもう15年以上、折に触れて何百回となく行っているのだけど。

最初はただ木の葉はイメージだった。
その木の葉はすぐに自分とダブった。

そして水へ木の葉が落ちる。いつしか、水が自分となった。

このごろ、その水の存在を、日常生活、つまりは瞑想をしていないときにも、感じるのだ。
心の中に、水が流れていると。

この水。清らかでやさしい水。すべてを受け止める聖なる水。
恐ろしくスピリチュアルなものを感じるのだけれど。。。

僕が、「僕・自分」という言葉を使うとき、その意味するものが(僕の意識の中で)、時に、この深い次元を流れる水を指したりしていることがある。
少し、不思議な感覚だ。

参考
木の葉の瞑想


  1. 2006/01/25(水) 11:48:53|
  2. 瞑想の方法といったこと・雑感|
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土の瞑想と時間

最近、時々、土の瞑想をしている。
自分を土と一体化させるのだ。
そして、土を経験してみる。

土。そこには、別の時間の流れがある。
とにかく時の流れが遅いのだ。悠久の時の流れがそこにある。

地上での出来事の何と早いことか!

この土は、また、深層心理でもある。何もかも飲み込む。
そして熟成する。
自分の中の何千年という時の流れを土が意識させてくれる。

むろん波動も異なる。
波長が長く、ゆっくりと遅い。

僕の瞑想の目標の一つに、波動を遅くというのがあるので、土の瞑想はその役にも立つ。

地上だけ見ていてはダメ。ましてや天だけを見ていてはダメなんだ。
  1. 2006/01/16(月) 10:55:31|
  2. 瞑想の記録|
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喪失感

今朝方の夢。巨大な喪失感を夢の中で味わっていた。
いつもは、これを劣等感と感じるのだけど、そうではなく、喪失感。
より、その正体に迫った気がした。

さらには、その底も見えたと感じた。
何十年も、生まれたときから、持ち続けた喪失感。その底が見えたと感じたのは、ちょっとすごい。

それから、今、現実世界で行なっている巨大プロジェクトと。
この巨大な喪失感は、このプロジェクトとバランスを取っている。
直感的にそう分かった。

この喪失感は、何回となく僕の過去生のテーマだったもの。そこには、何百年、何千年という巨大な時の流れがある。

現実世界のプロジェクトには、空間の広がりが。
時間と空間という違いはあるが、その巨大さでバランスしている。

・・・そんな夢。
一つ、成長できたような気がした。(^^)
  1. 2006/01/14(土) 22:50:44|
  2. 夢日記|
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土の瞑想

最近は、もっぱら土の瞑想を続けている。

土・・・、これはじめじめしていて、暗い・冷たいイメージがあり、そこそこ心のパワーに自信がないと、つらいかも知れない。

すっきりと土の中に入り、冷たさ・湿気は引きずらない。


土と一体になると、土のパワー、深さを実感してくる。
土・地面は、何もかも、受け止める。戦いで流した血も、死体すらも。

すべてを受け止め、熟成し変換する。すべてのパワーの源となる。
土がなければ、木は生まれない。

この土の上での出来事のすべてを越えて、土の中の動きは実は活発だ。

これはまた、グラウンディングにもつながっているのだろうけど、それはまだあまり意識していはいない。

  1. 2006/01/04(水) 18:13:43|
  2. 瞑想の記録|
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