山小屋を訪ねている。3日間、知らない人の家、一家にお世話になった。
新鮮な空気。自然。人家と自然の境界線。
あちこち山歩きをして。
おばあさん、小さな子どもたち(男の子と女の子)、奥さん、ご主人。
みなとてもよくしてくれた。
御別れするときは、深々と頭を下げた。心から感謝。
―という夢なのだが、空気の新鮮さ、鮮烈さ、さわやかさ。全てに気持ちよさのある夢。
最近、選択を強く意識しているのだけど(瞑想中も)、その過程で、ちょっとハイアーな自分の一部と会えたのかな?(^^)
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- 2005/10/29(土) 16:24:25|
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一つの瞑想をただずうっとやりつづける。
そんな瞑想を教える人たちもいるようだ。
個人的に、また経験的に、同じ瞑想をずうと毎日繰り返すのを、僕は好まない。
やってみれば分かる事だが、なんと言っても退屈する。
1ヶ月も同じ瞑想を繰り返せば、いいかげん嫌になる。集中力もなくなる。億劫になる。結局、座る気がしなくなる。
心の様相は、毎日、違う。
瞑想への入り方もまた、違う。
そのときどき、何の瞑想をするのか、どんな瞑想をするのか。
ちなみに、僕は、瞑想に入る前、心の準備をしながら、まず直感で決めていく。
瞑想の中で、わき道にそれることもある。テーマを自由に変えていく。
むろん、そのためには心を研ぎ澄ますことが必要だが。
瞑想のやり方、テーマなどを一つに決めてしまうことは、その無限の可能性を狭める事になるような気がするのだ。。。。
- 2005/10/23(日) 14:41:26|
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本ページはwebリングに参加するために、作成したものです。
以下、リングのバナーです。
- 2005/10/22(土) 13:42:04|
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瞑想をする。
そう決めて、座ったとき、じゃ、何の瞑想をするのか?
無念無想、心を空にする練習をするのか?
それとも呼吸法の練習をするのか?
はたまた自分のトラウマを探るのか?
人生の大事について、思いをめぐらせるのか?
未来へ旅立つのか?
霊界を覗き込むのか?
過去生を旅するのか?
ハイアーセルフからのメッセージを聞くのか?
それとも体の不調をヒーリングするのか?
超能力を身につけたいのか?
数学の難問を解きたいのか?
瞑想とは、心の世界。
心の世界は、無限に広く、そして様々。
つまり、瞑想のバリュエーションは無限にあると思う。
その目的もまた無限だ。
何を瞑想するのか?
どんな瞑想をするのか?
そこから、瞑想は始まる。
- 2005/10/21(金) 10:30:32|
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いうまでもなく、深い瞑想に入るには、静かな環境の方が入りやすい。
外界の音が遮断され、お香の匂いがほのかに漂い、さらには、静かなヒーリングミュージックでも、有れば、最高だ。
明るさに関して言えば、真っ暗な部屋に、ろうそくの炎が一つ。
…こんな環境が理想ではある。それはその通りなのだが…
しかしながら、一方で、電車の中でも、違う呼吸。ふうっと違う呼吸をして、目を閉じれば、別世界へ。
隣の部屋で、ガンガンうるさいテレビの音がしている、そんな環境で、イライラしているときに、目を閉じ、呼吸を整え、すっと違う世界へ自分を移す。
それもまた瞑想の利用法なのだ。
うるさいから、瞑想が出来ない。―確かにそういいたくなるときもあるけれど、そんな劣悪な環境を所与の条件として、瞑想を訓練する。
そんな醍醐味もあるのだと思う。
嵐の中、辛い時こそ、瞑想に戻る気持ちが、大切なように思うのだ。
参考
嵐と湖:心の悩みへ癒しの絵本-絶望し苦悩する方へ
- 2005/10/20(木) 17:25:18|
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瞑想をするときは、ある意味で、現実の時間の流れから、意識して自分を切り離す。
そして、意識の中で、様々に遊ぶ。
だから、瞑想を現実逃避に使えば、それはとても有効な手段・道具になるだろう。
とはいえ、現実逃避は現実逃避でしかない。現実逃避を目的とした瞑想にのめりこむことは、(当たり前だが)現実逃避となるだけだ。
―はてさて、それが何かを生むだろうか?
瞑想オタクの人たちの話をたまに聞くことがあるが、どうにも、瞑想を現実逃避に利用している人が多いようで、寂しさを覚える事がある。
確かにこの世は、四苦八苦。
たまに現実を忘れることは、精神衛生からも大切ではあるのだけど、もし、瞑想を現実逃避を主目的に使ったなら、それはあまりにもったいない。
瞑想を、現実を直視するために使えば、また、それは大変に有効な道具となるのだ。
さらには、現実を変えるためにも。。。
- 2005/10/15(土) 11:25:07|
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今日は、
風車の瞑想を。
まずは、
花の瞑想から。…タネを一つ、地のエネルギーで空中に飛ばす。
少し浮遊感を楽しみ、はてさて、…どこへ落とすか?
東京のどまんなか。―そんな直感。
そこで、東京へ、タネを落とした。
そこでタネから風車が生まれる。大きな風車だ。
その風車が、意志の風で、ぐるぐると回りだす。羽根が一つ、外れて飛ぶ。
西日本へ。
そこで、二つの風車が、ぐるぐると、勢いよく回りだす。
風向きは、なぜか違う。
それから、二つ目の風車から、羽根が一つ。今度はグーンと太平洋を飛び越え米国へ。
ニューヨークだ。
そこで、超巨大な風車が竜巻のごとく、嵐のごとく、激しい風の中で、高速回転!!
あまりのエネルギーに、僕の全身がブルブルと振るえた。
グオォオオーーーー!!…もう限界だ。
瞑想をここで止めた。
ちなみにこの全ての瞑想、物理的な時間では5分ほどか。
- 2005/10/15(土) 10:45:21|
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一日働いて、妙な神経疲れ。
頭の中がなまりのようで、身体に生命力が感じられない。
そこで、今日はごく気楽に癒しの瞑想。
呼吸を整え、そこそこのトランスへ入り。
いつもの温泉につかる。この温泉はすぐに出てくるので、楽。
温泉につかるまでに、集中しなければいけないようでは、疲れたときに使えない。(^^)
お湯につかり、のんびり。
時々、痛む後頭部や肩にハンドヒーリング。
といっても、物理的な手を使うのではなく、心の中で。
それでも、イメージの手の平から、気が心地よく、肩や首へ注いでくれる。
これは、僕の手。同時にハイアーセルフの手。少し手の平を大きくして、肩と首、両方へ一度に気のシャワーを。
再び温泉につかりなおす。
トランスに入れば、手足は、どちらにしろ温まるので、その熱を改めてお湯の熱として受け取ってみる。
しばらくボーっと。。。。
そこそこ楽になって、お湯から上がった。
こんな瞑想もたまにはいいね。
- 2005/10/08(土) 22:21:22|
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昨日、今日と久しぶりに
風車の瞑想をやった。
この瞑想は、複数の瞑想からなる。
まず花の瞑想からスタート。
自分を花の中心におき、花弁を少しずつ開く。
開ききったと思ったところで、もう一度、力をこめて深く開く。
強い情動反応。
それから、タンポポの瞑想へ移行。花の中心のめしべが、たんぽぽの種のようなものへ、変化。
そのタネを上昇気流に乗せて、一気に空中へ飛ばす。
種が空中へ。心地よい浮揚感。飛翔感だ。
しばらく空を浮遊し、楽しみ、そして、陸地へ落ちていく。
落ちた所で、花をさかせる。
その花は、風車となる。―世界中にたくさんの風車が出来る。
風が吹く。
風車が一斉に廻りだす。
ということで、強い手ごたえを感じた。よっしゃ!(^^)
- 2005/10/03(月) 10:22:36|
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