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心の癒しと夢、瞑想、精神世界について、です

2005年10月:夢と癒しと瞑想ノート

TOPへ-夢と瞑想、気づきと癒し、精神世界の道程

瞑想に興味を持ってから20年超。 その羊腸の道の風景を、ところどころご紹介していきます。 道を求める人へ、何かの参考になれば幸いです。 書き込みの日付は、もともとの日記の日付です。

山小屋

山小屋を訪ねている。3日間、知らない人の家、一家にお世話になった。
新鮮な空気。自然。人家と自然の境界線。
あちこち山歩きをして。

おばあさん、小さな子どもたち(男の子と女の子)、奥さん、ご主人。
みなとてもよくしてくれた。
御別れするときは、深々と頭を下げた。心から感謝。

―という夢なのだが、空気の新鮮さ、鮮烈さ、さわやかさ。全てに気持ちよさのある夢。

最近、選択を強く意識しているのだけど(瞑想中も)、その過程で、ちょっとハイアーな自分の一部と会えたのかな?(^^)

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  1. 2005/10/29(土) 16:24:25|
  2. 夢日記|
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何の瞑想をするのか~2

一つの瞑想をただずうっとやりつづける。

そんな瞑想を教える人たちもいるようだ。
個人的に、また経験的に、同じ瞑想をずうと毎日繰り返すのを、僕は好まない。

やってみれば分かる事だが、なんと言っても退屈する。
1ヶ月も同じ瞑想を繰り返せば、いいかげん嫌になる。集中力もなくなる。億劫になる。結局、座る気がしなくなる。

心の様相は、毎日、違う。
瞑想への入り方もまた、違う。

そのときどき、何の瞑想をするのか、どんな瞑想をするのか。

ちなみに、僕は、瞑想に入る前、心の準備をしながら、まず直感で決めていく。

瞑想の中で、わき道にそれることもある。テーマを自由に変えていく。
むろん、そのためには心を研ぎ澄ますことが必要だが。

瞑想のやり方、テーマなどを一つに決めてしまうことは、その無限の可能性を狭める事になるような気がするのだ。。。。
  1. 2005/10/23(日) 14:41:26|
  2. 瞑想の方法といったこと・雑感|
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  1. 2005/10/22(土) 13:42:04|
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何の瞑想をするか?

瞑想をする。

そう決めて、座ったとき、じゃ、何の瞑想をするのか?

無念無想、心を空にする練習をするのか?
それとも呼吸法の練習をするのか?
はたまた自分のトラウマを探るのか?
人生の大事について、思いをめぐらせるのか?
未来へ旅立つのか?
霊界を覗き込むのか?
過去生を旅するのか?
ハイアーセルフからのメッセージを聞くのか?
それとも体の不調をヒーリングするのか?
超能力を身につけたいのか?
数学の難問を解きたいのか?

瞑想とは、心の世界。
心の世界は、無限に広く、そして様々。

つまり、瞑想のバリュエーションは無限にあると思う。
その目的もまた無限だ。

何を瞑想するのか?
どんな瞑想をするのか?

そこから、瞑想は始まる。

  1. 2005/10/21(金) 10:30:32|
  2. 瞑想の方法といったこと・雑感|
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瞑想の環境について

いうまでもなく、深い瞑想に入るには、静かな環境の方が入りやすい。

外界の音が遮断され、お香の匂いがほのかに漂い、さらには、静かなヒーリングミュージックでも、有れば、最高だ。

明るさに関して言えば、真っ暗な部屋に、ろうそくの炎が一つ。

…こんな環境が理想ではある。それはその通りなのだが…


しかしながら、一方で、電車の中でも、違う呼吸。ふうっと違う呼吸をして、目を閉じれば、別世界へ。

隣の部屋で、ガンガンうるさいテレビの音がしている、そんな環境で、イライラしているときに、目を閉じ、呼吸を整え、すっと違う世界へ自分を移す。

それもまた瞑想の利用法なのだ。

うるさいから、瞑想が出来ない。―確かにそういいたくなるときもあるけれど、そんな劣悪な環境を所与の条件として、瞑想を訓練する。
そんな醍醐味もあるのだと思う。

嵐の中、辛い時こそ、瞑想に戻る気持ちが、大切なように思うのだ。

参考
嵐と湖:心の悩みへ癒しの絵本-絶望し苦悩する方へ



  1. 2005/10/20(木) 17:25:18|
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瞑想と現実逃避

瞑想をするときは、ある意味で、現実の時間の流れから、意識して自分を切り離す。
そして、意識の中で、様々に遊ぶ。

だから、瞑想を現実逃避に使えば、それはとても有効な手段・道具になるだろう。

とはいえ、現実逃避は現実逃避でしかない。現実逃避を目的とした瞑想にのめりこむことは、(当たり前だが)現実逃避となるだけだ。

―はてさて、それが何かを生むだろうか?

瞑想オタクの人たちの話をたまに聞くことがあるが、どうにも、瞑想を現実逃避に利用している人が多いようで、寂しさを覚える事がある。

確かにこの世は、四苦八苦。
たまに現実を忘れることは、精神衛生からも大切ではあるのだけど、もし、瞑想を現実逃避を主目的に使ったなら、それはあまりにもったいない。

瞑想を、現実を直視するために使えば、また、それは大変に有効な道具となるのだ。

さらには、現実を変えるためにも。。。


  1. 2005/10/15(土) 11:25:07|
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風車の瞑想とニューヨーク

今日は、風車の瞑想を。

まずは、花の瞑想から。…タネを一つ、地のエネルギーで空中に飛ばす。
少し浮遊感を楽しみ、はてさて、…どこへ落とすか?

東京のどまんなか。―そんな直感。
そこで、東京へ、タネを落とした。

そこでタネから風車が生まれる。大きな風車だ。

その風車が、意志の風で、ぐるぐると回りだす。羽根が一つ、外れて飛ぶ。
西日本へ。

そこで、二つの風車が、ぐるぐると、勢いよく回りだす。
風向きは、なぜか違う。


それから、二つ目の風車から、羽根が一つ。今度はグーンと太平洋を飛び越え米国へ。
ニューヨークだ。

そこで、超巨大な風車が竜巻のごとく、嵐のごとく、激しい風の中で、高速回転!!

あまりのエネルギーに、僕の全身がブルブルと振るえた。
グオォオオーーーー!!
…もう限界だ。
瞑想をここで止めた。

ちなみにこの全ての瞑想、物理的な時間では5分ほどか。
  1. 2005/10/15(土) 10:45:21|
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癒しの瞑想

一日働いて、妙な神経疲れ。
頭の中がなまりのようで、身体に生命力が感じられない。

そこで、今日はごく気楽に癒しの瞑想。

呼吸を整え、そこそこのトランスへ入り。
いつもの温泉につかる。この温泉はすぐに出てくるので、楽。
温泉につかるまでに、集中しなければいけないようでは、疲れたときに使えない。(^^)

お湯につかり、のんびり。
時々、痛む後頭部や肩にハンドヒーリング。

といっても、物理的な手を使うのではなく、心の中で。
それでも、イメージの手の平から、気が心地よく、肩や首へ注いでくれる。

これは、僕の手。同時にハイアーセルフの手。少し手の平を大きくして、肩と首、両方へ一度に気のシャワーを。

再び温泉につかりなおす。
トランスに入れば、手足は、どちらにしろ温まるので、その熱を改めてお湯の熱として受け取ってみる。

しばらくボーっと。。。。
そこそこ楽になって、お湯から上がった。

こんな瞑想もたまにはいいね。

  1. 2005/10/08(土) 22:21:22|
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風車(かざぐるま)の瞑想

昨日、今日と久しぶりに風車の瞑想をやった。
この瞑想は、複数の瞑想からなる。

まず花の瞑想からスタート。
自分を花の中心におき、花弁を少しずつ開く。

開ききったと思ったところで、もう一度、力をこめて深く開く。
強い情動反応。

それから、タンポポの瞑想へ移行。花の中心のめしべが、たんぽぽの種のようなものへ、変化。
そのタネを上昇気流に乗せて、一気に空中へ飛ばす。

種が空中へ。心地よい浮揚感。飛翔感だ。
しばらく空を浮遊し、楽しみ、そして、陸地へ落ちていく。

落ちた所で、花をさかせる。
その花は、風車となる。―世界中にたくさんの風車が出来る。

風が吹く。

風車が一斉に廻りだす。


ということで、強い手ごたえを感じた。よっしゃ!(^^)




  1. 2005/10/03(月) 10:22:36|
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