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心の癒しと夢、瞑想、精神世界について、です

2005年09月:夢と癒しと瞑想ノート

TOPへ-夢と瞑想、気づきと癒し、精神世界の道程

瞑想に興味を持ってから20年超。 その羊腸の道の風景を、ところどころご紹介していきます。 道を求める人へ、何かの参考になれば幸いです。 書き込みの日付は、もともとの日記の日付です。

不動心?

この世は辛い事ばかり。
だから、何事にも動じない強い心が欲しい! 不動心を持ちたい!

―こんな気持ちは、良くわかるし、実際そんなことを強く望んだ時期もあったのだが、一歩間違えると、そこには落とし穴がある。

もっとも手軽に、「動じない心」を手に入れるには、次のような手段が存在するからだ。

目を閉じること。
現実から逃避すること。
感情を麻痺させること。抑圧すること。

むろん、上記の目的のために、瞑想を利用することも可能だろう。

さて、一切、現実から心を遮断してしまえば、確かに「現実の出来事」で心が動揺することはなくなる。心が麻痺すれば、そうそう心は動かない。

いやはや、そうすれば、どんな人間が出来上がるのか?

他人を踏みつけにして、傷つけても、一切、その痛みを感じない不動の冷酷さを手に入れてしまうかも。^^;

心を麻痺させる事、現実逃避。
確かに瞑想は、現実逃避の道具として大いに利用することも可能だけど。。。

―その方向に歩こうとは思わない。


参考リンク
世界平和のメッセージ集 目を開けて
精神世界の旅人への手紙
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  1. 2005/09/29(木) 17:59:08|
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善悪で裁かない

瞑想の心構えには、いろいろあるが、「ありのままの自分を受け入れる」ことも大切だ。

あるがままの自分を一切の善悪の判断を加えず、そのまま見る。受け入れる。

瞑想をしていると、深層心理へのアクセスが可能となっていく。
その中には、本当に様々な自分がいる。

例えば、苛められた自分。小学生のとき、いじめっこにひどい目に合わされて、仕返しが出来ず、心の中で抑圧された怒り、憎しみ。つまり、今でも憎しみに震える自分がいたりする。

憎しみの塊になっている自分なんて、誰も見たくない。醜い自分。エゴイストの塊の自分も厭。

そんな自分のカケラを「悪」だと思うと、もう、アクセスはできなくなる。アクセスできなければ、解放できない。解放できなければ、癒せない。統合も出来ない。

だから善悪の判断を捨てる、というのは、瞑想をもし深めたいなら、自分を癒したいなら、必要不可欠だ。

これは本当に、徹底すること。少なくとも瞑想中は、一切の善悪の判断を捨てて欲しい。


参考リンク
善悪が戦いを生む心理を描く絵本「良い子にならなきゃ」
善悪が目隠しとなる心理を描く絵本「魔法のメガネ」
  1. 2005/09/28(水) 08:25:12|
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痛みを取る

待ち合わせに時間が有ったので、その時間を利用して、ベンチに座って、ヒーリングを。

背中や肩にコリ・痛みがある。

さて、ゆっくりと意識をそちらへ。背中へ向けて、胸の側から、ハンドヒーリングの形。

心の中で痛みの場所を特定して、イメージ。そこへ気・光・愛情を送り込む。
しばらくすると、心地よい幸福感が、患部へ流れ込む。

―飽きてきたので、自然な体操に切り替え。つまり、心のままに、体の欲するままに、体をくねらせたり、動かしたり。(何か名前があったような・・・)

公共スペースなので程ほどに。

…と、こんなことをして遊んでいたら、約束の相手が来た。
うん、だいぶ、楽になった。(^^)
  1. 2005/09/28(水) 07:55:33|
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続けるということ

一念発起して瞑想を始める事は簡単だ。
毎日、1-2回、頑張って3ヶ月続けることも、どうということはない。

はじめのころは、トランス状態に入る、心を落ち着かせる、といった明確な目標もあり、目標に向かって努力できる。

しかし、半年続けることは、難しい。1年続けることは、もっともっと難しい。
しかし一方で、瞑想を続けることの意味は大きい。

そこで、続けるコツを少し書こう。

*何かの動作と習慣付けること

僕の場合は、夜、歯磨きをした後に瞑想をするパターンを作っている。生活のパターンとなれば、なんとなくでも、続けられる。
ちなみに歯磨きは、身を清めているつもり。(^^)

*向上心で瞑想をしない

1年間365日、向上心を持ちつづけられる「統合」された人格の持ち主でなければ、向上心を動機にすることはお勧めできない。
ばかやろう、向上だなんて、どうでも良いんだ! ―こんな気持ちのとき、瞑想をすることが出来なくなるからだ。
ところが、こういうときこそ、瞑想が力を発揮する。
だから、瞑想を続けるためには、ストレス解消、癒し、疲れを取る、といった複数の動機を持つことを勧めたい。

実際、瞑想に出来ることは一つではなく、瞑想の目的も一つではない。

*瞑想をしたくない時が飛躍のチャンス

瞑想の習慣を持つと、見たくない自分、抑圧されていた自分が表面に出てくることがある。それはまさにトラウマ解消のチャンス。自分の殻を破るチャンス。
しかし、こういうとき、「見たくない」気持ちが瞑想をしたくないという方向に働く。―そのことはよく普段から意識しておくと、瞑想をしたくないときに、瞑想をする、つまり、飛躍のチャンスを生かすことができる。


参考エントリー
古い憎しみを癒す

  1. 2005/09/27(火) 09:03:27|
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テープによる自己催眠

しばらくテープレコーダーを使った自己催眠、誘導瞑想に凝ったことがあった。

テープレコーダーなり、CDなりで、様々な誘導瞑想といったものが市販されている。
僕が使ったのは、自分の声で録音したテープだった。

テープレコーダーの声などで、自己催眠を行うと、その声に身を任せることができるので、ある意味、大変、楽。
楽にトランスに入ることができ、またテーマもはっきりとしているために、その目的に向けて心を集中することも容易。
かなり、深く入ることも出来る。

ということで、利用の仕方によっては面白い。

しかしながら、こうしたCD、テープの誘導には、大きな欠点もある。
最大の欠点は、恐らく強引だということ。

他者催眠にも通じることと思うのだけど、暗示効果が強烈になりすぎて、心に備わっている安全弁が間に合わないことがあるような気がするのだ。

例えば、自分の限界を超えて集中してしまう。

僕の場合、毎日1時間ぐらい、テープを使った自己催眠の練習を続けたら、2-3週間で、ものすごい疲労感に襲われた。特に目が疲れてしまった。

始めは、その訓練が原因だと気づかなかった。何しろ、目をつぶって、テープを聞いただけで、目が疲れるとは思いつかなかったからだ。
あのまま続けていたら、どうなっちゃったろう、と少し怖い。

こうしたテープなりを利用する方は、どうかやり過ぎないでいただきたいと思う。

―さて、そんなこともあって、テープ/CDを使った誘導催眠には、今では興味を失っている。
  1. 2005/09/22(木) 17:50:11|
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科学的思考方法

瞑想を訓練していく中で、厄介だったのが、「科学的思考方法」だった。

子供のころから受けてきた、科学は絶対といった思い込み、教育。
これが、瞑想を深めていくとき、とんでもなく邪魔になった。
お陰で何年を無駄にしたことか。。。

具体的に言うと、それは「証明できないものは、信じない」「検証を大事にする」といった心的な態度。

この心的な態度を取る限り、瞑想はごく表面的なものになる。

例えば山のイメージを見る訓練をしていたとする。しばらく集中すると、ぼにゃりと山のイメージらしきものが見えたとしよう。

そのとき、そのイメージが本物かどうか、検証しようとする。
そうすれば、その瞬間、そのイメージは消える。

ああ、やっぱりあのイメージは偽物だったと思う。

そして、また集中する。
この過程が延々と繰り返されるのだ。

検証しようとすること、疑いを持つこと自体に、問題があることに気づくまで何年もかかってしまった。

心の枠を取り除いていくことには、途方も無く時間が掛かる。。。


  1. 2005/09/22(木) 17:32:19|
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父の夢

今朝方、父の夢を見た。

父が病気で、体そのものを手術で切り離し、治療のために、その体を冷凍するという。
その間、父は頭だけとなる。
父を励まそうと、僕は何かの本を読んで聞かせる。

手術は成功。その日の内に、父は元気になる。

そして、いつのまにか、二人で並んで歩いている。
ええ? あんな大手術をして、もう元気になったのか?

僕の理性が働き出し、僕は疑いを持つ。
けれど、確かに父は元気になっている。病気はもう大丈夫、と。

**********

手術のところは、おいて、父が並んで歩いている。
あの感触は、どこかリアルだった。

正夢なのかな、とも思う。
  1. 2005/09/22(木) 17:22:24|
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飛翔

特にテーマを定める事もなく、求める事もなく、なんとなく瞑想。
いつも通り、呼吸にのせて意識を落とす。
しばらく雑念が巡る。
特に、手放すこともせず、振り払う事もせず、雑念が流れるままに。

しばらくすると、意識は呼吸に戻り、再び、トランスを深める方向へ。
意識を少しずらしてみる。座標軸はそのままに。

自分の位置を動かさない。
今、ここへ、不動の軸を。。。。

ふっと気づくと眼下に地球が。きらきらと輝いている。
僕は人工衛星みたいに、地球の上空を飛翔している。

僕の体の中と、地球との間に、暖かい何かが流れている。
―気持ち良い。


  1. 2005/09/11(日) 10:14:26|
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瞑想と現実と…

昔、朝から晩まで、瞑想三昧で暮らすことに憧れた事があった。
ヒマラヤの山の洞窟にでもこもって。
世間から隔絶したところで、瞑想だけに集中できれば、どれほど成長できるだろうと。

そのころは、瞑想と現実が、相反するもの―対立するもののように感じていた。

とんでもなかった。「現実」と「瞑想」は補完関係にある。協力関係にある。
「現実」から体験すること、学ぶ事。
「瞑想」から体験すること、学ぶ事。
どちらも貴重。
どちらの方が大切ということもない。

「現実」をいとおしく思えば、「瞑想」は現実生活を助けてくれる。
「現実」は「瞑想」に沿って動き出す。
そして、「現実」は、「瞑想」のテーマを与えてくれる。瞑想の指針を与えてくれる・・・

むろん、「現実」と「瞑想」を対立させるのも、「現実」と「瞑想」を仲良しさん(^^)させるのも、それぞれの人の選択ではあるけれど・・・





  1. 2005/09/10(土) 09:58:50|
  2. 瞑想の方法といったこと・雑感|
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癒しのお風呂

疲れている。

PCをやりすぎたのか、とにかく疲労困憊。思考能力もなし。

こんなときは、癒しの瞑想。
気づきはいらない。ただの癒しだ。

いつもの通り、呼吸に乗せて、意識を下げる。
どんな癒しの瞑想にしようか?

あ、お風呂か。

直感に従い、そのまま自分から飛び出してきてくれたイメージの中に入り込む。
自分の軸は不動。世界を動かす。

そして、世界は、癒しの温泉へ。肩までゆっくりとつかる。
ああ、気持ちよい。
そう、この次元には、敵などいない。全ては一つ。
ただ愛に身を任せる。


鼻に温泉の香りが・・・ この水は何で出来ているんだろう?

ここは洞窟の中の温泉。回りにはすがすがしい気が。マイナスイオンというのかな?

肩のしこり、頭の疲れ。そこへ気を通していく。

疲れが少しずつ抜けていく。体を動かしたくなった。
思いのままに、肩を回す。腕をひねる。腰を動かす。

自然にトランスが浅くなる。
…眠くなってきた。寝よう。

リンク
愛を敵から受け取る心理を描く絵本―愛と敵
  1. 2005/09/08(木) 11:02:04|
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二人の女性

今日の夢…
一見何の意味もない変な夢。

僕は、昔の恋人、Kyokoとなぜか結婚している。
けれど、今は別居中だ。
だれと住んでいるかと言えば、新しい恋人と。
でも…、それは本当の妻。

夢の中で二人の女性に挟まれて、僕の心は引き裂かれている。
まるで自分が主人公となった絵本を見るかのように心のスクリーンに自分が映し出される。
自分の嘘で愛が引き裂かれているみたいだ・・・

この夢はむろん、正夢ではない。霊夢でもない。
むしろフロイト的な深層心理。深層の葛藤をあらわしている。
そう、この夢判断のキーとなるのは、あの感情。
引き裂かれたような、感情だ。
ここに、…なにかが眠っている。
癒しを必要とする何か―心の悩み、トラウマが。

それほど、深いものではない。
もし、気が向けば、瞑想をして、心の中をのぞいてみよう。

リンク
愛が嘘に代わる心理を描く絵本―愛と嘘




  1. 2005/09/06(火) 11:57:09|
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