fc2ブログ
心の癒しと夢、瞑想、精神世界について、です

2002年09月:夢と癒しと瞑想ノート

TOPへ-夢と瞑想、気づきと癒し、精神世界の道程

瞑想に興味を持ってから20年超。 その羊腸の道の風景を、ところどころご紹介していきます。 道を求める人へ、何かの参考になれば幸いです。 書き込みの日付は、もともとの日記の日付です。

鐘の音


突然、耳元で鐘がなった。

わっと思い、一瞬目が覚める。現実の鐘の音ではなく、単に夢の中で想像した音でもなく。

ちょうど、夢の中で誰か人のことを考えていた。誰かは分からないが。その人が、他人の悪口を言うところを想像していた。

そして、僕は、「あいつは、いつもこうして他人の悪口ばかりいうんだ」と憎憎しげに考えようとした瞬間だった。

つまりは、悪口をいってばかりいる、として自分の憎しみを正当化しようとしていた。この瞬間に鐘の音がした。

つまりは、「お気をつけなさい」という警告、注意を促す鐘。そう、僕は理解した。この憎憎しげに考える心の底には、他者を見下す傲慢さがあるのかもしれない。

スポンサーサイト



  1. 2002/09/26(木) 13:43:38|
  2. 夢日記|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

向こう岸の瞑想を

向こう岸の瞑想1回目

仕事に関して。
向こう岸は、渡れないほど高い断崖絶壁。自分の力では渡れない。しかし、向こうの断崖の方から、低くなって、こちらへ近づいて来る。
つまり、自分ひとりの力では渡れないもの。しかし、向こうから橋をかけてくれるものだ、と。

向こう岸の瞑想2回目

岸を隔てているものは、何も無い、と感じた。もし、あの会社に断られれば、違う会社へ行けば良い。自費で行う事もできる。
また練り直しても良い。
それを隔てているとするものは、自分自身の心。何も、自分で自分の可能性を切ることは無い。つまり、ネガティブに現実を捉えようとする心の癖の存在を実感した。
・・・これで随分、心が落ち着いた。

参考エントリー
向こう岸の瞑想
  1. 2002/09/15(日) 11:43:53|
  2. 瞑想の記録|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0


















無関係の広告→〔