炎の瞑想
炎を自分と思う事自体。それはそれほど無理が無い。
炎を自分と思った上で、それはさておき、自分が燃える事。
こっちの方にも比重を置かないと・・・
そんなことを思った。
自分が光って病気のHを照らす事。少しできるようになった気がした。
だけど、集中はとっても長くは続かない。
木の葉の瞑想
なかなか面白い。まあ随分感情が高まった。
不吉っぽい黒い陰。小さなコヨ―テっぽいもの。2つ飛び出した。
あれは何かな・・・?
どこかに行こうと強く意識する必要はない。自然に構えていれば、もっとも必要な物を、見せてくれるはず。
「信頼」の方がずっと大切。
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- 1995/07/28(金) 10:19:03|
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炎の瞑想を
ろうそくの炎が本当の自分で、それを後ろから映像として見れるなんて、なんて便利なんだろう! といった思い込みが有効なようだ。
@このころ、ろうそくの炎と自分の間の数十センチの距離に苦しんでいた。木の葉の瞑想
泣くほど懐かしい存在。ハイアーセルフ? そんな感情的高ぶり。
ところで、あまたの中に逆流してみると、妙な感覚だ。
もっと練習する必要があるな。
- 1995/07/26(水) 10:13:42|
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今朝の夢は挫折感のものだった。
4時の飛行機でハワイに行く予定。急遽決まって、切符を買って、タクシーを飛ばし。
タクシーの運転手に、「この駅からまず横浜へ行ってください」と言われる。
そこで、タクシーを降りる。
大きな駅だ。早く行かなきゃと、駅の中を走り回るが、どうしてもホームが見つからない。
駅員を探すが、ようやく見つけた駅員は乗客に囲まれていて、話が出来ない。
気ばかりがあせる。
案内の表示もあるが、暗くて読めない。
とうとう駅が違うことが分かった(歩いて3分ほどの近くの駅に行かなければいけなかった)。
そのときには、もう20分は時間を過ぎており、タクシーに乗ろうが何をしようが、もうハワイ行きの飛行機には間に合わない。
ガックリときて、駅員に八つ当たり。そして、実家に電話で連絡しようとするが、ゲーム画面のような電話で、「はい、残念でした」となかなか電話もつながらない。
20セント硬貨は有っても、10円玉はない。
悔しくて、泣きたいほど悔しくて・・・
―という夢。
いくら努力しても空回りして失敗してしまう、という一種の思い込みが形となって現れたようだった。
いやはや。。。
- 1995/07/25(火) 10:42:19|
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木の葉の瞑想に続いて、炎の瞑想も。
ろうそくの炎を自分と思う事に挑戦している。つまり、ろうそくを見ている自分を虚と思い、ろうそくの中の内縁の炎を実と思う。
認識の主体のみが炎の外へ飛び出し、自分を見ているといった情景。
これはテレビカメラで撮っているのと同じかも。
とはいえ・・・、まだ出来ない。まだまだ
炎の瞑想は分からない。
- 1995/07/24(月) 11:19:24|
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木の葉の瞑想を行なった。
場面がいくらでも変わるに任せた。様々な水に関する記憶、イメージが湧いた。鮮やかだ。
夢の中のような水車の情景がはっきりと。
ゆらゆらと木の葉がゆれて、行きたい方向に川を流れて。イメージが途切れると体を揺らせて。
家庭の記憶。半分、懐かしさ。半分、妙な気持ち。
ずうっと昔の優しい姉を思い出す。
木の葉の瞑想、分かってきたような気がする。
木の葉に乗って、行きたいところへいける。。。。
- 1995/07/24(月) 10:55:14|
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